【ロンドン編】ビスポークテーラー奮闘記⑤
予期せぬ出来事
「ヒロ、日本が大変なことになっているよ!」
いつも通り仕事をしていた荒川は、同僚から突然の報告を受けました。
2011年3月11日
誰もが衝撃を受けた東日本大震災が起きたのです。
東北地方を中心に多数の死者・行方不明者が発生した大災害の凄惨な様子は、ロンドンにも衝撃が走るほどの大事件でした。
ニュースの詳細を知りたいと思いましたが、その当時はスマートフォンを持っていませんでした。ピカデリーの近くで号外を配っていると聞き、すぐにもらいに行きました。
固唾を飲んで手に取ったその号外には、荒川の地元の信じられない様子が載せられていたのです。
号外に載った地元の変わり果てた写真を見て、海沿いにある自分の実家は間違いなく津波に飲まれて無くなってしまっただろう、と絶望しました。
それよりも家族は無事なのか?
すぐに何度も何度も両親に電話をかけましたが、繋がりません。
もしかしたらもう死んでしまったのかも…。
最悪の事態を想像しながらも、信じて電話をかけ続けました。
幸いにも何度目かの電話で母に繋がりました。
みんな避難して無事だと言うことを聞き、ほっと胸を撫で下ろしました。
しかし、家の現状は誰にもわからないということでした。
家がなくなってしまったら家族の生活はどうなるのだろう。
すぐにでも帰国して自分も協力しなければ。
そのことを伝えると母から、
「今帰ってきても避難生活が続くだろうから何もできないよ。こっちに帰ってくるよりロンドンで仕事していた方が良いよ」
と言われました。
もちろん不安に思いましたが、母の言うことに従うことにしました。もし人手が必要ならいつでも帰るつもりでした。
最終的には震災が起きた日から1年半後、ビザが切れるタイミングで帰国することになりました。
この大震災は荒川の人生設計を大きく変えてしまうきっかけとなりました。
それまではテーラーとしての経験を積み、ゆくゆくはサヴィルローで独立する。自分は大好きなロンドンで一生を終えるのだ、そう人生のプランを練っていました。しかし、帰国する道を選んだのです。
今まで自分のやりたいことだけを求めて突き進んできた荒川でしたが、大切な人たちに降り掛かった突然の災難にどうすることも出来なかった無力さや、物理的な不安があったことを今一度考えました。
あの時に自身を襲った「一度に全てを失ってしまった」と思った瞬間の心のざわつきを、決して無視することができなかったのです。
日本に帰国、そして次のステージへ
荒川が帰国した頃には、両親の生活も通常通りに戻っており、結局荒川の出る幕はありませんでした。奇跡的なことに、家は流されることなく床上浸水の被害のみで済んだそうです。
しかし、思い出の土地は様変わりしてしまいました。
幼少期に遊んでいた砂浜は波で削られて無くなり、地元の唯一の観光スポットである海に浮かんでいた小島は、津波と崩落により姿形が変わってしまいました。それらが、自然の風景を一変してしまうほどの大災害であったということを物語っています。
今でも心に残る思い出の場所を、もう二度と見ることは出来ないのだと、悲しみに暮れるしかありませんでした。
帰国してからの荒川は、日本でもテーラーの仕事がしたいと思いました。しかし、地元にはテーラーの仕事がありません。テーラーの仕事をするためには都会に行くしかありませんでした。
そこで地元を離れて、東京のテーラーで働くことを目指しました。
何をやるにもまず資金が必要、ということで東京に行くためのお金を稼ぐために、地元の牛丼屋で働くことにしました。昼夜問わず、ワンオペもみっちりとこなしていると3ヶ月程で目標資金が貯まりました。
いざ東京へ。
テーラーとしての次の新たな一歩を踏み出していくのです。
続く。