【東京編】ビスポークテーラー奮闘記⑦

接客を磨くために

 

接客の大切さに気付いた荒川は、次のステップへと踏み出すことにしました。

転職して、高級セレクトショップで働くことになります。 

商品の単価が以前の職場より上がったこともあり、個人での月の売り上げは数百万円にのぼりました。 単価が違えば客層も違うため、接客方法も変わります。

いつも顧客様が来られる時はしっかりと下準備をしていました。

受け身だけではなく、こちらからもアプローチしていく。もちろんそのためには、お客様との信頼関係や好みの把握が大切になってきます。しかし何よりもお客様が楽しく心地よくお買い物できることを重視しながら、提案したいコーディネートや商品のご用意などをさせていただいていました。

セレクトショップは在庫がかなり限られるため、各店舗で商品の取り合いになることもありました。高価な既製服を売る現場は、なかなかの戦場だと思います。

 

 

職人を見出す人

 

そんな新天地での日々の中で、入社した時から荒川のことをずっと目に掛けてくれた方がいました。それが社長でした。

社長は面接の時から、荒川の作るビスポークスーツや経歴に関心があるようでした。職人が作るモノが好きな方だったので、荒川にも興味を持ってくれたのだと思います。実際に当時勤めていたお店には、荒川の他にも色んな分野の職人が数人いました。職人が作るモノの価値を見出し、特別なものとして扱ってくれる方だったのです。

後に社長個人にビスポークスーツを依頼され作ることになりました。その出来上がったビスポークスーツをとても気に入ってくださり、パーティーなどで着用してくださいました。

そういうこともあって、新人であるにも関わらず社長との交流はそれなりに多かったと思います。(退職後も連絡を頂くことが度々あり、後に弊店にも来てくださいました。)

《社長に作ったスーツの裁断》

 

《完成後のフィッティング》 

 

 

Kitonとの出逢い

 

ある日辞令が出され、荒川は銀座にあるKiton(キトン)の専属テーラーに配属されました。

これが、荒川のKitonとの出会いでした。

Kitonはナポリが誇る、高級ラグジュアリーブランド。

英国の仕立てとはまるで違う、ナポリのジャケットは新たな発見の連続でした。 しかしこの時にはまだ、イタリアンジャケットの真の魅力には気付かなかったのでした。

 《Kitonのアトリエで働く荒川》 

 

 

「Life Art」と新たな夢

 

昔からファッションアートが好きだった。マックイーンの様に、自分の思考を服にのせて表現する、自分もこういうことがしたいと思ってロンドンの大学に進学した。美しい服を作るにはテーラリングが必要だと考え、初めはただの手段としか思っていなかったのに、学ぶうちにその虜になっていた。

マックイーンとは異なる道を進みましたが、根底には今も自分の思うアートへの想いがあり、その表現の方法としてビスポークを選びました。

 

そのアートに対する考えに荒川の中で変化が生まれました。

以前は、自分が表現したいことを表現することがアートだと思っていましたが、接客を経験したことで、人が着て初めて完成するアートという考えに変わったのです。

 

お客様が望む姿をビスポークで表現したい。

着用する人の内面を体現するテーラリング。

二人三脚で作っていく芸術。

 

それが「Life Art」です。

日常で身に纏う芸術、この言葉が荒川が作り出す作品のテーマです。

 

そしてここで思いついたことは、

「学ぶことは大切であり、これからも続けていくけれど、学びにはゴールが無い。ここで一度、自分の積み重ねてきたものを世に出していきたい」

ということでした。

 

この高級セレクトショップで働く職人達は、ここで働きながらお客様の支持を得て、独立していく人が多かったです。

そんな野心に溢れた仲間たちと切磋琢磨していく中で荒川も感化されていきました。自分のお店を持ちたいという夢ができたのです。

 

数年働いた後に、夢を叶える準備のため、退職することになりました。

社長にもその胸の内を打ち明けました。

その際にある提案をされたのです。

 

「ナポリにあるKITON (キトン)の工場で修行しないか?」

 

突然の提案にとても驚きました。

今考えてもかなり異例の対応だったと思います。

応援してくれることを嬉しく思いましたし、荒川に箔をつけてあげよう、という心遣いに対してとてもありがたく思いました。

こうして荒川は、イタリアのナポリへ旅立つことになったのです。

 

 

続く

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