【ロンドン編】ビスポークテーラー奮闘記②
この大学を選んだ理由とは?
タイトルでビスポークテーラーと言っていますが、実は元々テーラーになることを目指していたわけではありませんでした。
この時の夢はデザイナーになることだったのです。
デザインを学ぶため、世界的な美術大学であるセントラルセントマーチンズ( Central Saint Martins of Art and Design College)への入学を目指しました。
なぜこの大学を目指したのかというと、荒川はデザイナーのアレキサンダーマックイーンが好きだったからです。
憧れの人と同じ場所で学ぶこと。
これが夢への第一歩だと信じていたのです。
他にも理由はありました。日本の美術学校は、作り方や技術的な学びがメインとなっていることがほとんどでした。荒川としては、デザインやコンセプトなどをメインに学びたいと思っていたので、それを重視しているという点でもここが理想の大学だと思いました。
いざ、入学試験!
大学入試の内容は、英語の試験(IELTSでスコア6.5以上必要)と絵の作品作りでした。学生時代にひっそりと独学で学んだ絵の勉強…
出題されたのはデッサンでした。
実はこの試験に出るまで、デッサンを真面目に描いたことがありませんでした(笑)。
しかし、ここで挫けるわけにはいきませんので一生懸命描きました。
夢に向かって長年必死に勉強した成果は…
結果、無事に大学に合格!
念願のイギリスへの切符を手に入れました。
憧れの土地での大学生活が始まります。
ロンドンでの大学生活
さあ、憧れのイギリスでの学生生活が始まりました。
大学の同じ学科には日本人が他に2人いましたので、初めはよく3人で買い物に行ったり、街並みを見て回ったりして異国の地を楽しみました。
しばらくはその日本人の友人たちと同じ学生寮で生活していましたが、何せ家賃が高い!(当時は1ポンド250円でした。)
お金を稼ぐために、イギリスに来て二週間で日本食レストランでバーテンダーのアルバイトを始めましたが、生活するのは厳しいものでした。
親から始めにもらっていた軍資金は、大学の入学資金などでほぼなくなっていました。お金が無いとどうしようもないため、入学して三ヶ月で寮生活を辞め、ベスナルグリーンに引っ越しました。
ベスナルグリーンの家はフラットシェアのため同居人が5人いました。
イタリア人、エジプト人、ポーランド人、フランス人、メキシコ人の多民族ハウスでした。
家から大学までの距離が遠くなったので、マーケットで20ポンドの中古自転車を買い、それで通学していました。
小さなことからコツコツ、なるべくお金を使わないように必死に生きていました。
朝から大学で勉強し、夜遅くまでアルバイトをして部屋に寝に帰る、という毎日慌ただしい1日でした。
それでも楽しい日々だと感じるのは、夢に向かって自分がやりたいことが出来ているということが大きかったからだと思います。
《共同スペースのキッチン》
大学で作成した当時の作品
学生時代に作った作品を少しご紹介します。
《絵に描いた作品を3Dにしようというテーマでした》
《3D完成品がこちら》
前述した、マーケットで購入した20ポンドの中古自転車。実はその後前輪を盗まれ、仕方なく授業での作品造りの一部となりました。ロンドンはなかなか治安が悪く、よく自転車が盗まれます。前輪だけで済んで良かったです。
《ロンドンのストリートの名前を張り付けた作品です》
《個人的にロンドンの道の名前はかっこよくて好きなんです》
続く